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    昔の尊敬されて崇められる人は、
    自然と「先生」「」と呼ばれて神のように有難がれた。

    そのような人物のプライベートなど現代のように緻密に調査されない。

    本人も有名税なストレスをあまり抱え込まずに済んだ。

    私が神のように崇められた人と指摘するのは、

    僧侶
    医者
    公的機関教育者
    などだ。

    偉人として後世に伝えられている人もこのジャンルの人が多い。
    カリスマ性を兼ね備えて人々をひきつけていたのだろう。



    やはり・・・
    インターネットという情報収集ツールが普及し始めて尚、

    スマートフォンやモバイル端末などで場所も問わずに接続可能になると。

    情報は、質や可否に問わず大量にあふれてしまう。

    専門の研究者も様々な理論で説明しても
    アンチによって叩かれて正当性をあやふやにされてしまう。

    今や何が本物で何が偽物かも判断に困るほどの情報の量なのだ。

    そのような時代に
    僧侶」「医者」「公的教育者」は、
    信憑性に関係なく多大な情報を武器にまず先に「自分自身」を擁護する。

    たとえば
    何か大きな病気になって「病院」に行ったときに
    注射や薬の投与、手術及び輸血などの行為をする前に必ず
    責任逃れ
    のような「同意書」に署名させられる。

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    この行為こそが、「自分かわいい」の人間を常識化させて
    責任転換」「発想欠乏」につねがり、崇められなくなる。

    そのようなジャンルの人間に魅力を感じるわけがない。

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    なぜそのような人間に「高給」を与えるのか?

    確かに「医者」がいなければ「生命」の維持に危険信号がともるだろう。

    だが今の「医者」は、マニュアル重視であり、

    予測できないことに挑戦しない。

    「奇跡」に賭ける輝いた人間は、見かけなくなった。

    魅力を感じなく凡人のような人間に高給を保証するのは如何なものか?



    重箱の隅を突っつく」世の中で

    学歴や肩書が優遇されるより、

    熱い「」を持った人間を活かす工夫をしてもらいたいものだ。

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